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ビッグ・ボッパー 
本名J.P.リチャードソン。1932年テキサス州生まれ。ハイスクール時代にDJをはじめ、
卒業後、地元の放送局でNo.1DJに選ばれたこともある。その時「ビッグ・ボッパー」という
名をつけた。陸軍に二年間入った後、同じ放送局に戻り、ディレクターとして活躍し、
同時に作曲も始めた。これが認められてマーキュリー・レコードと契約し、ヒット曲を出した。
この活動期間は1957年から58年にかけての短い間であったが、これは1959年2月3日、
28才の時バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンスと共に飛行機事故で亡くなったためである。
死後発表されたジョニー・プレストンの「悲しきインディアン」はリチャードソンの作品だった。
リチャードソン(ビッグ・ボッパー)のアルバムは、3曲のヒット全てを収めたアルバムが
残されていて、輸入盤で入手出来る。 





ビリー・ヴォーン
1919年4月12日ケンタッキー州生まれ。6才の頃からウクレレを覚え、ハイスクール時代には
ピアノをはじめ他の楽器も覚えた。第2次世界大戦中は陸軍に5年間在籍して除隊後は、
故郷に戻って地元のバンドでピアニストを務める傍らカレッジに通った。
学校のスポーツ仲間3人とコーラス・グループ「ヒルトッパーズ」を結成した。
リード・シンガーは Jimmy Sacca 。他のメンバーは Don McGuire 、Seymour Spiegelman 
そしてビリー・ヴォーン。1952年に出したデビュー・ヒット Trying は7位まで上がった。
グループとしては15曲ほどのヒットがあり、最大のヒットは1953年の 
P.S. I Love You でミリオン・セラーとなった。
その53年にはビリー・ヴォーンの才能がかわれてドット・レコードの音楽監督に就任。
パット・ブーン等の売り出しに貢献した。また自分自身のオーケストラも持って
数々の吹き込みを行いヒット・レコードも生まれた。ビリー・ヴォーン楽団のサウンドは
テナー・サックスを生かし、ハワイアンのスタイルをも加味したロカ・フラ・スタイルが
軽やかで心地良い。近年レコードのほとんどは廃盤になってしまった。





フォー・シーズンス
グループ結成は、1960年。フォー・ラヴァースからの2人と、ロイヤル・ティーンズからの
1人が参加して結成された。フォー・ラヴァースは、フランキー・ヴァリが加わっていた
グループで、1956年にスタート。この年春には You're The Apple Of My Eyes が
ビルボードで62位まで上がった。ロイヤル・ティーンズは全米で3位まで上がった
「ショート・ショーツ」(あのタモリ倶楽部のテーマ曲としておなじみ)の大ヒットを持つ
グループで、このグループからフォー・シーズンスに参加したのはボブ・ゴーディオだった。
フォー・シーズンスは「ゴーン」、「アランナ」レーベルに録音したが、ヒットせず、
ヴィー・ジェイに移っての第一弾「シェリー」が空前の大ヒットとなった。
「シェリー」以後、「恋のヤセがまん」、「恋のハリキリ・ボーイ」と1位獲得。
ビートルズ登場前、プレスリーと並んでポップス界を
リードした。フランキー・ヴァリの独特の裏声を生かした唱法、ドゥー・ワップの影響を
受けながらもフォー・シーズンスのスタイルを作り、これが大いに受けた。
 フォー・シーズンスのレコードは近年入手困難だったが、アメリカで復刻された。
アルバムは4枚組50曲入り、CDは3枚組54曲入り。 





フォー・ラッズ
50年代の思い出を甦えらせてくれる歌の中にフォー・ラッズの「イスタンブール」がある。
これを歌ったフォー・ラッズそのものも50年代の顔の一つである。日本人歌手では
とうてい表現することが出来ないだろうあか抜けした、都会的でシャレた
ヴォーカル・ハーモニーを聞かせてくれたグループがフォー・ラッズだった。フォー・ラッズは
男性4人組で、カナダのトロント出身。自分たちのヒットも出す一方で、コロムビア・レコードの
アーティストのバック・コーラスも担当、ジョニー・レイの全米ナンバー・ワン・ヒット「クライ」を
皮切りにフランキー・レイン、ドリス・デイ、ローズマリー・クルーニーなどの録音に
参加している。彼ら自身のヒット・レコードは1952年にオーケイ・レコードから出した
「モッキン・バード」が初ヒットで、第2弾ヒットからはコロムビア・レーベルでヒットを出した。
1959年までに28曲のヒットを放った。この中には「モッキン・バード」の3回のヒットが
含まれている。1956年には最初にオーケイ・レーベルでヒットしたものと同じ録音が
エピック・レーベルで出た。1958年には録音し直したテイクがコロムビア・レーベルで出た。

ベスト・アルバム紹介 

(曲目 オリジナル盤番号、日本盤番号、アメリカでのヒット年-順位) 

16 Most Requested Songs 
@街角にたって Standing On The Corner 
Columbia 40674 L 141 56- 3
Aフー・ニード・ユー  Who Needs You
Columbia 40811 L 3082 57- 9
BMagnificent Obsession
CThe Mocking Bird
Columbia 41266 58-32
Dノー・ノット・マッチ  No Not Much
Columbia 40629 L 139 56- 2
E恋する人は君一人 There's Only One Of You
Columbia 41136 LL 122 58-10
FTonight 
GSomebody Loves Me
Columbia 39865 52-22
HFly Me To The Moon
Iイスタンブール Istanbul
Columbia 40082 L 100 53-10
J想い出の時  Moments To Remember
Columbia 40539 L 135 55- 2
KTogether Wherever We Go
LTime After Time
MBreezin' Along With The Breeze
NWhy Can't You Behave
OLove Is A Many-Splendored Thing

フォー・ラッズは自分たちでヒットを出す一方で、他の多くの歌手たちのバック・コーラスを
努めた他、オリジナル・アルバムも数多く制作した。素晴らしい内容のアルバムだったが
ビルボードのチャートに入ったのは残念ながら1枚だけだった。そのアルバムは1956年の
On The Sunny Side で、14位まで上がった。このアルバムはコレクターズ・アイテムに
なっており、40〜50ドルで取引されている。アナログ時代にもあまり彼らのアルバムは
復刻されなかった。アナログ時代の終わりにイギリスでベスト盤が復刻され、
アメリカでも別内容でベスト盤が出た。 





フランキー・アヴァロン
お薦めアルバム 
フランキー・アヴァロンのベスト・アルバムが国内盤で出ている。
この解説を書かせていただいた。解説はともかく、内容が素晴らしいので、
ぜひコレクションに加えていただきたい。なにしろアメリカに於ける
チャンセラー時代の全ヒットが収録されている。さらに長らく入手困難だった
フランキー・アヴァロンも出演した映画「アラモ」関係の曲4曲が
初収録された。この後外国盤でも出たが、このアルバムで始めてCD化された。
「アラモ」関係は日本では当時シングルも出てヒットしたが、アメリカでは
シングル・カットされず、4曲入り盤で発売された。この日本盤を出すまでマスター・テープの
所在は分からなかった。このCD発売の担当者だった内山氏に、ダメを覚悟で、
何度かテープの所在を調べてもらって やっと見つけだしたものだ。また「ホワイ」は当時、
モノーラルしか知らなかったファンにとっては衝撃のトゥルー・ステレオ・ヴァージョン。
1999年4月21日発売。(2003年2月現在、生産中止)

1939年9月18日生まれ。当初はトランペットを演奏していた。フィラデルフィアで
放送されていたテレビ番組「ポール・ホワイトマンのティーン・クラブ」に出たり、
RCAレコードの子会社XやVIKにインストゥルメンタルの曲を録音したりした。その後、
彼は「ティーン・アンド・トゥエンティ・ クラブ」という青少年のためのクラブを作った。
このクラブには無名時代のフェビアンやボビー・ライデルが出入りした。
このクラブをサポートしたのがボブ・マークチとピーター・デアンジェリスで、
彼等はチャンセラー・レコードを設立した。
フランキー・アヴァロンとフェビアンは同社の専属となった。


フランキー・アヴァロンの「ホワイ」は私にとっては永遠のフェイヴァリット・ソングスの1曲。
1957年にボブ・マークチ Bob Marcucci が高校時代の友だちだったピーター・デアンジェリス
Peter DeAngelis とチャンセラー・レコードをスタートさせるにあたり、
最初のアーティストの一人として契約したのがフランキー・アヴァロン。
ボブとピターは会社をはじめる前からソング・ライターとして、地元フィラデルフィアでは
多少は知られる存在だった。二人が書いた「ユー・アー・マイン」はヴィンス・カーソンによって
歌われ、ローカル・ヒットになっている。後にこの曲はフランキー・アヴァロンによって歌われ、
全米26位のヒットになった。会社を始めてからも運営をしながらソングライターとしても
活躍した。「ホワイ」はこの二人が作った曲でピーター・デアンジェリスがプロデュース、
オーケストラの指揮も担当した。全く同じスタッフで作られたジョディ・サンズの
「ウィズ・オール・マイ・ハート」も「ホワイ」に劣らぬ名作。
「ホワイ」。壊れそうな、頼りないヴォーカルだけど、そこがいいんだろうね。
女声とうまくマッチして素晴らしいティーン・ポップになった。このイメージで聞くと、
何と「ジンジャーブレッド」のたくましいこと。こんな曲も歌えるんだ。





フランク・プウルセル
フランスを代表するオーケストラのひとつ「フランク・プウルセル・グランド・オーケストラ」。
特に初期のサウンドはプウルセル独特の音を持っていた。
初期のころはまだステレオ録音が行われていなかったので、なかなかCDなどでの復刻が
進まないが、出来ればあの懐かしい初期の音を聞きたい。下記のリストは50年代に日本で
発売された30cmアルバム(HVシリーズ、2LP) と25cmアルバム (HWシリーズ)のリスト。
 フランク・プウルセルは1913年1月1日、フランスのマルセイユ生まれ。小さいころから
ヴァイオリンをはじめ、マルセイユとパリの音楽院で学んだ。1941年に劇場で楽団の
指揮をしていたのを歌手のリュシエンヌ・ボワイエに認められ、彼女の伴奏楽団に加わった。
1952年に主にクラシック系のミュージシャンを集めてフランク・プウルセル・オーケストラを
結成した。このオーケ ストラのデビュー曲は「ブルー・タンゴ」、「ライムライト」だった。
その直後には「オンリー・ユー」を録音し、これは59年にアメリカで大ヒットした。
グローリア・ラッソなどの伴奏も多く手がけ、彼女たちの成功にも貢献した。
プウルセルは後進の育成にも熱心で、同郷のポール・モーリアはプウルセルの楽団で
ピアノを弾いていた時期もあったらしいし、二人で作曲した「愛のシャリオ」は
ペトゥラ・クラークによって大ヒットした。これはアメリカではリトル・ペギー・マーチがカヴァーし、
「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」として世界的な大ヒットになった。
またレーモン・ルフェーヴルもプウルセルの楽団でピアノを弾いていた時期があり、独立して
自分の楽団を持ってからもプウルセルに編曲を依頼するなどの親交があった。

 ● 女体 Capitol 2LP 9 
 @ 唇
 A 腕
 B 眼
 C 胴
 D 指
 E 乳房
 F 腰
 G 耳朶
 H 髪毛
 I ふくらはぎ
 J 腿
 K 襟首

 ● パリのムード(フランク・プウルセル傑作集) Angel HV 1026
 @ アイ・ラヴ・パリ
 A なんて素敵
 B メニー・タイム
 C 街角
 D メア・キュルパ
 E わが心はヴァイオリン
 F 忘れられた子供たち
 G 何時の日か
 H 待ちましょう
 I リュクサンブール・ポルカ
J 愛の泉
 K パリの四月
 L テームズ河に沿って
 M ぼくの手
 N スマイル
 O あなただけが

● 夢みるオーケストラ Angel HV 1029
@ マラゲーニヤ
A 赤毛のジュリー
B 百点ではないけれどわからず屋ネ)
C 世界一周
D スウィンギング・スウィートハート
E チューリップ畑の風車
F マンドリン・セレナーデ
G ローラの望むままに
H オンリー・ユー
I 世界一のママ
J おお、ララ
K 恋人よ、おやすみなさい
L 煙草と酒と女
M いるかに乗った少年

● プウルセル・ウインナ・ワルツ集 Angel HV 1032
@ ウィーン気質
A 私の愛人
B 春の声
C 酒・女・歌
D 金と銀
E ウィーンの森の物語
F 美しく青きドナウ
G 芸術家の生涯
H ダニューブ河の漣
I 皇帝円舞曲

● ムード・ア・ラ・カルト第1集 Angel HW 1008
@ わが心にヴァイオリン
A グリスビー
B ぼくの手
C メニー・タイム
D チロルの花
E フルー・フルー
F グリスビー・ブルース
G 秋のアヴェニュー
H メキシコの泥棒
I 想い出

● ムード・ア・ラ・カルト第2集 Angel HW 1010
@ ストレンジャー・イン・パラダイス
A アンチェインド・メロディー
B 首輪のない犬
C 慕情
D チャルダス・タンゴ
E ローマよ、さようなら
F ヴェルヴェット・グローブ
G 愛とカスタネットとタンゴ
H 恋は素晴らしい
I パリの空の下 

● ムード・ア・ラ・カルト第3集 Angel HW 1013
@ パリの屋根の下
A 雨の朝パリに死す
B パリのお嬢さん
C かわいそうなジャン
D 枯葉
E パリの橋の下
F バラ色の人生
G チャルダス
H イフ・アイ・ラヴ
I 素敵なサンバ

● ムード・ア・ラ・カルト第4集 Angel HW 1016
@ ポルトガルの洗濯婦
A とってもいいわ
B ドロレス
C 涙に罪なし
D マーティーの唄
E ペルー人のお祈り
F モンマルトルの丘
G いくらかのお金
H 太陽とともに
I 夢のマンボ

 ムード・ア・ラ・カルト第5集 Angel HW 1022
@ ジェルヴェーズの唄
A 急流
B シャポーのお祭り
C ケ・セラ・セラ
D カジノ・ブルース
E パリ・ボエーム
F さあ、騒がしいぞ
G エルザの瞳
H 小鳥よ...
I 生まれ変われたら

● ムード・ア・ラ・カルト第6集 Angel HW 1024
@ マンドリーノ
A 明日にまた
B 綿摘む乙女
C 小鳥よ...
D 懐かしのリスボン
E じゃ、話せよ
F いつまでも好き
G 三文オペラ
H バラの刺青
I 秋のコンチェルト

● ムード・ア・ラ・カルト第7集 Angel HW 1027
@ 消え失せし恋
A リマの夢
B 村のカドリール
C アカレツァーメ
D 回転木馬のワルツ
E ドロシー
F あなたとともに
G ホット・ディギディ
H 恋しいお方と
I ピアノ・ピアノ

● ムード・ア・ラ・カルト第8集 Angel HW 1029
@ なんて素敵
A ジョニー・ギター
B 忘れられた子供たち
C アイ・ラヴ・パリ
D ポルトガルの家
E 魅惑のタンゴ
F もうとっくに
G ジェルソミナ
H カノ・カノエ
I パリのあの頃

● ムード・ア・ラ・カルト第9集 Angel HW 1040
@ コメ・プリマ
A 河は呼んでる
B パトリシア
C クロックミトゥッフル
D アイルランドのバラード
E ぼくのメリーゴーラウンド
F ジプシー達
G 心は遙かポルトガルに
H マイ・プレイヤー
I アローン

 プウルセル・スクリーン・メモリーズ Angel HW 1049
@ 河は呼んでる
A マンドリン・セレナーデ
B ケ・セラ・セラ
C 百点ではないけれど(わからず屋ネ)
D 赤毛のジュリー
E 世界一周
F いるかに乗った少年
G ジョニー・ギター
H ローラの望むままに
I クロックミトゥッフル





フロイド・クレイマー
ピアニスト、フロイド・クレイマーの音を聞いたことがないというポップス・ファンはいないだろう。
彼自身でも「ラスト・デイト」の全米2位のヒットがあるが、これを知らなかったとしても
彼のピアノは聞いたことがあるはず。フロイド・クレイマーは5才のころから
ピアノを弾き始めたそうで、1955年にナッシュヴィルに移り、セッション・ピアニストとして
活躍することになった。その代表作のほんの一部を紹介。
エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」(この録音ではギター:スコッティ・ムーア、
チェト・アトキンス、エルヴィス・プレスリー、ベース:ビル・ブラック、ドラムス:D.J.フォンタナ、
そしてピアノ:フロイド・クレイマー)、「アイ・ニード・ユウ・ラヴ・トゥナイト」、「恋の大穴」、
「フール・サッチ・アズ・アイ」、「本命はお前だ」、「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」、
「今夜は一人かい」、「グッド・ラック・チャーム」等など、さらにブラウンズの
「谷間に3つの鐘が鳴る」、ジム・リーヴスの「浮気はやめなよ」、ハンク・ロックリンの
「迷わせないで」などのRCAのアーティストの多くの他、「スウィート・ナッシンズ」、
「アイム・ソーリー」、「ダム・ダム」、「フール・ナンバー・ワン」などブレンダ・リーの
ヒット曲の多くのピアノも担当している。同じセッションマンだったボブ・ムーアの
ソロ・レコーディングにもつきあっている。フロイド・クレイマーのピアノは聞いて
すぐ分かるほどに特徴のある奏法で、ナッシュヴィル・サウンドを代表する
ピアノ・サウンドといえる。フロイド・クレイマーのソロ・ヒットは下記のベスト・アルバムに
収録されている曲の他、Hang On (RCA 7907 61-95)、Let's Go (RCA 7978 62-90)、
Hot Pepper (RCA 8051 62-63)がある。

(曲目の後のデータはオリジナル・レコード番号、日本盤レコード番号、ヒット年、順位) 

Essential
@ラスト・デイト   Last Date   RCA 7775   SS 1253   60- 2
AFancy Pants
BI'm So Lonesome I Could Cry
Cサン・アントニオ・ローズ  San Antonio Rose   RCA 7893  SS 1275   61- 8
DFlip Flop And Bop    RCA 7156    58-87
EYour Last Goodbye   RCA 7907    61-63
FCorrine Corrina
GDrown In My Own Tears
HI Need You Now 
Iこだまに乗って   On The Rebound   RCA 7840   SS 1265   61- 4
JGeorgia On My Mind
KLovesick Blues   RCA 8013    62-87
LChattanooga Choo Choo   RCA 7978    62-36
MLosers Weepers
NJava   RCA 8116    62-49
OShrum
P(These Are) The Young Years
QAll Keyed Up
RStood Up
Sホワッド・アイ・セイ   What'd I Say   SS 1410

日本でのシングル・ヒットは残念ながら生まれなかった。一部の熱心なポップス・ファンが
「ラスト・デイト」などに注目したくらいだった。しかし、レコード会社としてはソロ・アルバムも
かなり積極的に出した。私自身もフロイド・クレイマーの軽やかなタッチが好きで、
ソロ・アルバムを何枚か買った。ピアノが全面に出ているものはどちらかというと
あまり好きではなかったが、フロイド・クレイマーは好きだった。当時は細かいデータがなくて
分からなかったが、一連のブレンダ・リーのヒット曲やブーツ・ランドルフ、ボブ・ムーアなどの
演奏で聞かれるピアノはフロイド・クレイマーの演奏にそっくりだと思っていたが、
後にそれがフロイド・クレイマーと知った時は「やっぱり」と嬉しく思ったことを思い出す。
 フロイド・クレイマーは1997年末に64才で亡くなった。ほぼ同じ時にデッカ・レコードで
プロデューサーだったオウエン・ブラッドリーも亡くなった。オウエン・ブラッドリーは
ブレンダ・リーのプロデューサーとして知られた人で、
フロイド・クレイマーとも一緒に仕事をした人。 





ヘレン・シャピロ
お薦めCD(外国盤) 


収録曲
子供じゃないの、悲しき片想い、夢みる恋、涙の片想い、恋をしましょう、
リトル・ミス・ロンリー、浮気はダメよ、夜がいっぱい、ほんとは好きなの、
あなたのお側に、キッス・ン・ラン、振られちゃったの、涙がいっぱい等全30曲

1946年9月28日ロンドン生まれ。EMIと契約し、ノリー・パラマーのプロデュースのもと、
数多くの録音を行った。イギリスで初ヒットとなり、3位まで上がった
「子供じゃないの」を出したのは14才の時だった。イギリスでの第2弾シングル
「悲しき片想い」は1位を獲得した。日本では「悲しき片想い」と「子供じゃないの」が 
カップリングされてデビュー・シングルとなった。イギリスでは11曲のヒットが出たが、
ビートルズが登場してポップス・シーンが様変わりし、次第に姿を消していった。
日本でもシングルがかなりの数、発売され、人気があった。
イギリス音楽映画「イッツ・トラッド・ダッド」に出演した。





ポールとポーラ
典型的なティーン・ポップであり、アメリカン・ポップスの代名詞とも言えるポール&ポーラの
「ヘイ・ポーラ」がヒットしたのは1963年。ビートルズが世界的に登場する前年のことで、
ビートルズが登場するまでのわずか1年が彼らの最も輝いていた期間だった。
正にポップス黄金時代を飾った最後のアーティストとも言える存在だった。
1962年にル・キャムと言うレコード会社から発売した「ヘイ・ポーラ」がフィリップス・レコードの
目にとまり、フィリップスはその年のうちに再発売、たちまちヒットとなり、全米1位を記録、
ミリオン・セラーにもなった。アメリカでは第2弾ヒットの「ヤング・ラヴァース」も6位まで
上がった。日本ではこの第2弾はあまりヒットしなかった。続く第3弾「けんかでデート」は
アメリカでは27位止まりだったが、日本では大ヒットになり、「ヘイ・ポーラ」に次ぐ
代表曲となった。このあとアメリカでは「夢ウェディング・ベル」と「素敵な新学期」がヒット、
すべてで5曲のヒットが生まれたが、63年末を最後にその後はヒット・チャートに
登場することはなかった。日本では「ヘイ・ポーラ」、「けんかでデート」の人気により来日、その時、
日本の曲や彼らのオリジナル・ヒットを日本語で録音してヒットさせた。
彼らの作品は日本では当時はすべてフィリップスから発売された。
アナログ時代にヒット曲のコンピレイション・フルバムが出て、CD化もさされたが
一時フィリップスは販売権が切れてすべてが廃盤になった。その後日本ではビクターが
ビクター・レーベルで発売したが、これはル・キャム原盤となっていた。この時の
「ヘイ・ポーラ」はオリジナル録音ではあったが、後からストリングスがオーヴァー・ダヴィング
されたテイクが収録されていた。フィリップス盤はオムニバスもすべてカタログから消えた。
その後、権利が戻ってオムニバス盤にも収録されたし、彼らのベスト・アルバムも出たが、
ベスト・アルバムの方は早くも廃盤になった。公式盤ではないが、31曲収録の「Hey Paula」が
充実した内容。これには彼らが出したオリジナル・アルバムで全米チャートに入った2枚の
アルバムのすべての収録曲と5曲の全米チャート・ヒットのすべてが収録されている。
収録曲は次の通り。 

@ Hey Paula (1-●)
A Pledging My Love (▲)
B Something Old, Something New (77-▲)
C My Happiness (●)
D All The Love (●)
E Oh What A Love (▲)
F Flipped Over You (▲)
G First Quarrel (27)
H Come Softly To Me (●)
I Hey Baby (●)
J First Day Back At School (60)
K You Send Me (▲)
L The Beginning Of Love (▲)
M Two People In The World (●)
N Young Lovers (6-●)
O Ba-Hey-Bee (●)
P We Go Together (▲)
Q Love Comes Once (▲)
R A Perfect Pair
S Blue Roller Rink (●)
@ We Two Forever Shall Be One (▲)
A Average Boy And Average Girl (▲)
B So Fine (▲)
C Sweet Baby (●)
D School Is Thru
E Don't Let It End (●)
F We'll Never Break Up For Good
G Stepping Stone (▲)
H Gee Baby (●)
I Crazy Little Things
@ Dear Paula

 曲目の後の( )の中の数字はビルボード・シングル・チャートでの最高順位。
●印はビルボードのアルバム・チャートで最高9位まで上がったPaul & Paula Sing For Young Loversに
収録された曲、▲印は99位まで上がったWe Go Togetherに収録された曲。


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